ほっとタウン - 2013年04月号 -  公益財団法人 荒川区芸術文化振興財団

ほっとタウンは荒川区芸術文化振興財団が毎月発行している、荒川区の地域情報誌です。区内の様々な情報や、区民のみなさまが参加されている各団体の活動、区内のイベントなどを掲載しています。


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広告のお申し込みは・荒川区芸術文化振興財団☎3802-7111 荒川区からオーストラリアに移住して20年余。最愛の夫ボブさんとともに、人と人の出会い、絆を大切にしながら日豪でコンサート活動を続ける久美子・ロフリーさん。一昨年は東日本大震災のチャリティーのために来日して全国で26回もの公演を行い、義援金は、全額荒川区を通じて日本赤十字社に贈られました。今年も5月から日本各地をチャリティーコンサートで回るほか、荒川区の子どもたちやお年寄りたちを前に恒例の訪問コンサートも行われる予定です。目を輝かせてこれまでの出会いや、これからの活動などを話される久美子さん、そしてそれをにこやかに見守るボブさん。お二人の温かなパワーは出会う人を引きつけてやみません。 久美子さんは九州で生まれ、生後2ヶ月で西日暮里4丁目に引越してきたそうです。小さい頃から歌が大好きで、道灌山幼稚園、第一日暮里小学校でも合唱団に入り、中学高校は跡見学園に通い、武蔵野音楽大学の声楽科に入学。オペラ歌手の︵故︶疋田生次郎氏や︵故︶砂原美智子氏に師事し、卒業後は声楽家としての活動をスタートさせます。 ﹁よく覚えているのは、小学校時代、谷中へ続く﹃夕焼けだんだん﹄にみんなで座って夕陽を眺めたり、今は見えなくなったけれど当時はよく見えた﹃富士見坂﹄から富士山を見たこと。お諏訪さま︵諏訪神社︶の神楽や縁日に行ったり、銀杏取りをしたこと。幸いにして、幼い頃の思い出の場所が今でも残っていて、帰国して町内を歩けば誰かしら知り合いが声をかけてくれます。オーストラリアに住んでいても、根っこは荒川区という意識は常に持っていて、それが現在の活動の源になっていると思います﹂ 日本と西洋の文化の架け橋になるような仕事をしたい、と決意した久美子さんは、準備のために40歳から英語を学び、英語を母国語とする中で一番日本から近い国、オーストラリアに渡り、文化交流を行う会社を起こします。会社経営がきっかけで知り合ったボブさんと結婚し、夫妻は力をあわせて、邦楽と西洋音楽の違いを楽しみながら聞く日本の歌謡曲コンサートをシドニーで開催したり、荒川の小学校やデイケアセンターで、子どもたちやお年寄りに歌を届けるボランティアコンサートを開くようになりました。 ボブさんのリタイアを機に、夫妻は住居をゴールドコーストに移しました。個人意識の強いお国柄の中で久美子さんは、生まれ育った人情味あふれる荒川の街を思い出し、いつも笑顔を心がけ、困っている人に皆で手を差し伸べようという姿勢を続けていくうちに、周囲に﹁お隣さん意識﹂が生まれ、夫妻の住む地区がとても住みやすくなっていったそうです。また、こうした体験を荒川の小学校で話して、子どもたちから感謝の手紙をいただいたこともあるそうです。 2011年3月、東日本大震災が発生し、5月に日本でのコンサートを計画していた夫妻は来日をいったん取りやめますが、壊滅的な状況をテレビで見続け、傍観者ではいられないとチャリティーコンサートを思いたち、すぐさま行動に移します。実はボブさんは、1989年、56歳の時にニューカッスル地震に遭遇し、命は助かったものの会社と全財産を失った経験をされています。久美子さんのコンサートでは軽妙にMCを務めるボブさんですが、恐ろしい体験は生涯忘れられないと言います。被災者である自分が日本に出かけていくことで、元気を届けられるのではないかとの強い思いがあったそうです。 ﹁日本のために祈っています。ゴールドコーストより﹂と記された旗を掲げ、Tシャツを着てリュックを背負い、ACC荒川区協賛の義援金箱を持って、夫妻は一昨年も昨年も日本全国をチャリティーコンサートで周りました。被災地でボブさんの体験を話すと、高齢のボブさんがこんなに頑張っていて大変勇気づけられたと多くの方々から感謝の声をいただいたそうです。 日本とゴールドコーストの行き来で久美子さんが実感したのは、心の距離だけでなく実際の移動にかかる時間の短さだといいます。夫妻は成田空港からわずか36分︵成田スカイライナー︶で日暮里に到着する﹃NN36﹄の愛用者です。久美子さんはもっと﹃NN36﹄を宣伝しようと、現在﹁日暮里-日本の入口﹂と題した歌を制作中です。 最後に久美子さんを公私ともにサポートする、日本酒・日本食好きのボブさんからメッセージをいただきました。︵翻訳は久美子さん︶﹁私の大切な久美子が育った荒川区は、僕にとっても心の一番近くにある場所です。日本の玄関口である荒川区のことをオーストラリアで知ってもらえるような活動をこれからも続けていきたい。それができることを光栄に思っています﹂ 荒川区からもらった力をオーストラリアで役立て、オーストラリアの良さを日本にお伝えして、日本とオーストラリアの架け橋になりたいと語る久美子さん。言葉が通じなくても笑顔があれば身近な人から世界の人まで通じ合い、人の絆が広がっていくことを夫妻は身をもって示してくれています。ACC         2013年4月号NO.292I02久美子・長野・ロフリーさんくみこながの笑顔と歌で人と人をつなぎ   日豪の架け橋になりたい■プロフィール九州で生まれ、荒川区西日暮里に育ち、武蔵野音楽大学声楽科を卒業。国内で声楽家として活動後、英国に語学留学。1989年、オーストラリアに渡って起業ののち、ボブ・ロフリー氏と結婚。シドニーにてオペラ財団の役員などを長年務め、現在はゴールドコーストに在住。「FROMJAPAN WITHLOVE」ほか4枚のアルバムを発表。2011年、ボブさんの喜寿を記念した旅行にて。仲睦まじいという言葉がぴったりのロフリー夫妻東日本大震災復興支援のために毎年、日本全国でチャリティーコンサートを続けています。情報満載のオフィシャルサイトへアクセス!荒川区芸術文化振興財団声楽家西日暮里に育った歌の好きな少女がオーストラリアで第二の人生を歩む今自分に何ができるのかを問いかけ毎年チャリティーコンサートを開催11月8日︵金︶日暮里サニーホールでコンサートが予定されています。


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