ほっとタウン - 2014年01月号 -  公益財団法人 荒川区芸術文化振興財団

ほっとタウンは荒川区芸術文化振興財団が毎月発行している、荒川区の地域情報誌です。区内の様々な情報や、区民のみなさまが参加されている各団体の活動、区内のイベントなどを掲載しています。


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広告のお申し込みは・荒川区芸術文化振興財団☎3802-7111ACC         2014年3月号NO.303I02田村正彦さんたむらまさひこ﹁尾久初空襲を忘れないコンサート﹂実行委員長尾久橋町会会長情報満載のオフィシャルサイトへアクセス!ACC公益 田村正彦さんは、日本でも、数少ない貴重な体験の持ち主である。1942︵昭和17︶年4月18日午後0時15分、東京都荒川区尾久町9丁目︵現在の荒川区東尾久8丁目︶で、当時尾久國民学校︵小学校︶1年生の田村さんは、台所で水を飲もうとした瞬間、米軍の爆撃を受け、爆風で約3メートル吹き飛ばされた。これこそが日本本土初空襲である。太平洋上の空母を出撃した16機の双発爆撃機B25の1機が現荒川区東尾久上空に飛来し、その初弾を荒川︵現墨田川︶沿いの住宅地に投下した。爆弾3発と焼夷弾が住宅街を直撃し、被害は重軽傷者48名、全焼全壊家屋52戸、半焼半壊家屋14戸にのぼったという。田村さん家族は無事であったが、すさまじい爆音とともに家の土台が、数センチ持ち上がったという。田村さん宅から3メートルの区道を隔てた北隣の一家は直撃弾を受け、家屋全壊全焼はもちろんのこと、家族の6名が爆死、3名が病院で死亡している。 しかし、このような状況にもかかわらず、当時の新聞には、〝京浜地方に敵機来襲するも退散中、被害は最小限にとどめ得た〟とあるだけで、その詳しい状況はもちろん、空襲を受けた地域名などには全く触れられていなかった。空襲直後、その爆撃跡へ見物に押しかけた住民にしても、やがて、﹁造言飛語を言う者は厳罰に処す﹂という当時の法律の影響や、帝都が侵入を受けたという事実を恥としてとらえる雰囲気の中で、それについて語るのを避けることが義務であると感じるようになっていったという。尾久に生き荒川を愛す   本土初空襲の語り部■プロフィール1936(昭和11)年尾久生まれ。尾久國民学校、明治大学附属明治中・高を経て明治大学入学。同大卒業後、北豊島中学高等学校の体育の代用教員を経て、大妻中野中学高等学校の社会科教師となる。同校の教頭職をもって定年。一方、1964年には柔道整復師の資格を得、1992年からタムラマ接骨院を開院。初代中央医療学園専門学校付属整骨治療院院長。尾久橋町会会長。沈黙していた尾久初空襲への新たな思いが湧きおこり被災者は、戦後も多くを語らず﹁尾久初空襲﹂の実態は区内でも広く知られていなかった。田村少年もまた、恐怖の記憶とあいまって、語るまい、忘れようとの思いのまま、終戦をへてもなお、この﹁尾久初空襲﹂について、60余年の長きにわたり、一貫して口を閉ざしていたのだった。 ところが、家族以外にはだれにも話せない複雑な思いを抱きながら、死ぬまで口外しないと心に誓っていた田村さんの心境に変化をもたらす出来事があった。それは、2000年に、荒川国際平和展実行委員会が開催した尾久初空襲による犠牲者の追悼集会だった。田村さんの心のうちに、地元以外の人たちがこんなに一生懸命になってくれているのに当の地元住民が黙っていていいのか、という思いが頭をもたげた。そして、尾久橋町会の一員として爆心地特定に協力するうちに、尾久初空襲の記憶を風化させてはいけない、自分の体験を語り継いでいかなくてはならない、という強い思いに駆られるようになっていった。この思いが自らが中心になって﹁尾久初空襲を忘れないコンサート﹂の、開催を決めた。地域の歴史を一人でも多くの人に伝えるために、音楽を架け橋にというのが当初からのコンセプトだった。 第1回コンサートは、2009年、㈱ADEKAの完成されたばかりのアデカホールで、荒川少年少女合唱隊を招くなどして開催された。ADEKAの前身は旭電化工業であり、尾久空襲は当時軍需工場であった旭電化工業の荒川工場を狙ったという説もある因縁の場でもあった。さまざまな肩書きを持ち歳を重ねてもますます活躍その後も、このイベントは、地元や田村さんの出身校明治大学校友会のボランティア、および荒川区のバックアップに支えられて毎年行われ、対話劇なども企画に加わり、ますます充実度を増している。昨年は新しく建てられた尾久八幡中学校の体育館で開催され、約500人もの観客を集め盛会だった。今年も4月20日に区立尾久小学校体育館で第6回を開催予定、ぜひ多く方に来ていただきたいと熱く語る田村さん。 田村さんは、明治大学卒業後、大妻中野中学高等学校教員を務め、同校の教頭として定年を迎えた。その一方で、古武道の門を叩き、滝本派不遷流柔術師範の肩書きも持つ。尾久橋町会会長として地域に貢献する傍ら、中央医療学園専門学校法学講師を務め、町屋と尾久本町通りに地域密着型のタムラマ接骨院︵院長は次男︶も開院している。さまざまなキャリアと実体験に基づいて、いじめ問題を含む教育についての講演活動をも積極的に行っている。﹁頼まれれば断らない﹂性格ゆえ、華道柳古流柳会相談役など様々な役職を務めるほか、﹁いくつになっても挑戦を﹂をモットーに、﹁尾久初空襲を忘れないコンサート﹂の実行委員長を継続、満78歳を前にして、ダンディーで若々しい田村さん。その活動ぶりはますます盛んである。昨年の「尾久初空襲を忘れないコンサート」で当時を語る田村さん。イベントは多くのお客さんで大盛況だった。小学校1年生当時の田村さん﹁第6回尾久初空襲を     忘れないコンサート﹂4月20日︵日︶午後2時∼午後3時30分荒川区立尾久小学校体育館 参加費無料お問い合せ=☎3810-0800︵田村︶


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