ほっとタウン - 2014年09月号 -  公益財団法人 荒川区芸術文化振興財団

ほっとタウンは荒川区芸術文化振興財団が毎月発行している、荒川区の地域情報誌です。区内の様々な情報や、区民のみなさまが参加されている各団体の活動、区内のイベントなどを掲載しています。


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ACC         2014年9月号NO.309I02情報満載のオフィシャルサイトへアクセス!ACC公益染山教潤さんそめやまきょうじゅん東京の下町の歴史に親しむ会代表運千山真養寺住職歴史を正しく知ることが、  地域への理解と愛着を深める■プロフィール昭和16年12月、南千住生まれ。72歳。東京教育大学修士課程修了。東京都立小松川高校で教鞭を執った後、昭和48年、運千山真養寺の住職に就任。昭和52年、35歳から保護司として活動。昭和55年から平成4年まで荒川区教育委員、昭和57年からは青少年対策南千住地区委員会(現青少年育成南千住地区委員会)委員となる。荒川区教育委員会委員長、青少年対策南千住地区委員会会長など数々の要職を務める。平成24年秋、更生保護功労者として瑞宝双光章を受章。「南千住の歴史に親しむ会」の様子子どもの頃の様子をにこやかにお話される染山さん 南千住の歴史を学び、地域への関心や愛着を深めることを目的に活動を続けてきた﹁南千住の歴史に親しむ会﹂は、平成元年に発足した﹁東京の下町の歴史に親しむ会﹂が主催。この活動の発起人であり、代表を務めるのが南千住にある運千山真養寺の住職、染山さん。さまざまな角度から南千住の歴史をつぶさに伝えてきた活動は、惜しまれながらも今年が最終回となります。そこで﹁南千住の歴史に親しむ会﹂の歩みについて染山さんにお話を伺いました。 下町のさまざまな歴史を取り上げようと発足した﹁東京の下町の歴史に親しむ会﹂でしたが、南千住だけでもテーマが豊富にあることから南千住に絞った﹁南千住の歴史に親しむ会﹂という名称を設け、年1回の活動を毎年続けてきました。 ﹁地域の歴史を身近に知ってもらう試みとして、初めの数年は講演の前に南千住を舞台にした落語や講談なども行なっていたんですが、歴史の話を中心にして欲しいという声が多かったため、講演のみになりました﹂ 平成10年からは﹁荒川ふるさと文化館﹂の学芸員の協力も得て、より本格的に南千住の歴史を学ぶ場として充実が図られていきます。平成10年と11年の2年にわたり、﹁川と道が語る南千住の歴史﹂をテーマに身近な文化財などを素材に、南千住の南千住という地域の歴史をさまざまな角度から探った26年古代から近世、近代までの通史を学ぶ﹁総論﹂を行い、12年以降はさまざまな視点から具体的テーマを設定し、南千住の歴史をさらに掘り下げる﹁各論﹂に取り組んできました。 染山さんは、真養寺に生まれ、荒川区立の小・中学校、都立高校を経て、大学院で哲学を学び、修士課程を修められました。都立高校で倫理社会の教鞭を執られた後、住職に就いたのが昭和48年。以来、保護司や教育委員など地域の青少年の健全育成や更生保護活動にも参加し、地域のためにさまざまなかたちで尽力されています。 ﹁私は、感情に左右されず、動かしがたい事実を積み重ねた上で結論を導き出し、相手に理解してもらえるように話すことを心掛けています﹂ ﹁南千住の歴史に親しむ会﹂も先入観や感情論を排し、歴史的な事実を正しく知ることで、地域の人たちの認識、地域への正しい理解と愛着が深まることを期待してきたと語る染山さん。 ﹁一番嬉しかったのは、南千住にお嫁にきた方が、義経や頼朝、足利尊氏など歴史的人物も立ち寄ったとされる場所であることを知り、﹃南千住って由緒ある地域なんですね﹄と喜んでいらしたことです﹂ さまざまな活動を通して多くの地元の人と接してきた染山さんならではの深い想いが感じられます。 最終回となる9月6日の﹁第26回南千住の歴史に親しむ会﹂のテーマは﹁奥の細道矢立て初めの地﹂。松歴史的な事実を知れば、地域に対する認識も変化する残った課題は明治∼昭和の歴史日 時/9月6日︵土︶    午後7時︵午後6時から呈茶会︶場 所/真養寺本堂参加費/500円第26回南千住の歴史に親しむ会︵最終回︶﹁奥の細道矢立て初めの地・南千住の歴史に親しむ﹂尾芭蕉の紀行文﹁おくのほそ道﹂ゆかりの自治体で毎年行われている﹁奥の細道サミット﹂が、来年3月にここ荒川区で開催されることにちなみ、﹁おくのほそ道﹂を通して南千住の歴史に親しむという内容で締めくくります。会場となる真養寺の本堂に、約120人の参加者を募り、講演前には染山さんの奥様の指導によるシルバー大学受講生のお茶席も用意されています。 ﹁長年講師を務めてくださった﹃荒川ふるさと文化館﹄の学芸員の方、また、さまざまな準備から当日の運営まで、活動を支えてくださった檀家や商店街やボーイスカウトなどの力も大きく、地元の方々には大変感謝しています。多少ですが町興しに役立ったのではないでしょうか﹂ 川や街道を人や物資が行き交い、発展を遂げてきた南千住の歴史やその厚みが明らかになって良かったと話す一方、心残りなのは明治から大正・昭和の歴史を十分掘り下げ、若い人達につなげられなかったことだと染山さんは言います。 ﹁明治時代に大きな紡績会社ができ、私が子どもの頃は小さな工場がたくさん並び、道路は工場からの油でキラキラしていました。輸送手段として馬も使われていましたから馬糞が落ちていることもありました。その当時のことにも触れたかったのですが、覚えている方も少なくなり、課題として残ってしまいました﹂ 染山さんの想いを継ぎ、近い将来地域の歴史に取り組む担い手が現れてくれることを願ってやみません。


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